私がいたから、法蔵菩薩の五劫思惟が始まったんだ。
仏さまがいたから私がたすかるんじゃないんだ。
私をたすけにゃならん仏さまができたんだ。
阿弥陀さまは私でできておる。
私を案じ、私を願い、私の功徳を行じてできたのが阿弥陀さま。
阿弥陀さまになってしもうたら、阿弥陀さまのことを私とは決して言わないけれども、
阿弥陀さまのお話は始めから終わりまで私のことである。
私を拝んでどうぞ仏になってくれよと、仏になったんだ。
仏がいるから私が拝むんじゃない。
それで、有福の善太郎がね、
「拝んでたすけてもらうじゃない。拝まれて、拝みとられて参ること、この善太郎。」
と言った。