阿弥陀さまの御法義は、この死の壁を段々薄くして下さる。
どのくらい薄くして下さるか、まあ蚊帳位になる。
そして、御開山の場合もまあ蚊帳位だったろうけれども、
平生業成と言うことは、平生に死んでしまえということですからね。
それを八十三歳の『愚禿鈔』には
信受本願 前念命終
もう死んでしもうたらもう死なんでもええ、
いっぺんしか死なんのですからな、もう死なんでもええんです。
そうすると、どういう死に方をするかというと、機の深信という死に方をする。
我々もこのすがりついた命から、機の深信という形で手を離すのは、
下に法の深信の手がすかっとるから、お慈悲というものがあるから手を離されるわけ。
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