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死の壁 Ⅲ

 

もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、

阿弥陀さまの大丈夫のお慈悲の御手の中で死んでしまうんだ。

身投げをするんだ。お慈悲の中に身投げをするんだ。足の裏からお任せをしてしまう。

 

それでいっぺん死んだ。いっぺん死んだらもう死なんでもええんですから。

実際死なんでもええんです。

 

我々は南無阿弥陀仏という兆載永劫の修行の功徳相の総体、

法蔵菩薩はその因の功徳で弥陀になった。

同じ因の功徳である南無阿弥陀仏が私のものになっとるから、

果報としては弥陀同体のさとりを開くことになっとって、もうええんだ。

もう全て済んだ。もう今日は目的を達した中にあるんだ。だから死なんでもええわけ。

 

まあしかしいずれ死ぬでしょうね。

いずれ死ぬでしょうねと言う程度の死というものがあるわけ。

いずれ病床に横たわっておると、

蚊帳ほどの生死の境が私の五尺の体の上を静かに撫でて行くだろう。

そしたら「正覚の華より化生して」。

この仏様の蕾みが華を開くという仕掛けになっとるわけです。