仏さまがいて 私が信ずる宗教じゃないんです 私がいるから お前を必ず救うと言うてくださって 仏になったんだ
もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、 阿弥陀さまの大丈夫のお慈悲の御手の中で死んでしまうんだ。 身投げをするんだ。お慈悲の中に身投げをするんだ。足の裏からお任せをしてしまう。 それでいっぺん死んだ。いっぺん死んだらもう死なんでもええんですから。 実際死なんでもええんです。 我々は南無阿弥陀仏という兆載永劫の修行の功徳相の総体、...
阿弥陀さまは私を殺しに来た。 それで御当流はねぇ阿弥陀さまは騙しに来たんですからね。 騙さんと逃げ出すんだ馬鹿ちゅう奴は。本当のことを言うたら逃げ出すですからね。 俺はお前たちを殺しに来たちゅうと逃げ出すから、 阿弥陀さまは化けて出て、優しい優しい溶けるような仏様で出て来たんだ。 ほんなら凡夫がお慈悲に抱かれるわけ。...
阿弥陀さまの御法義は、この死の壁を段々薄くして下さる。 どのくらい薄くして下さるか、まあ蚊帳位になる。 そして、御開山の場合もまあ蚊帳位だったろうけれども、 平生業成と言うことは、平生に死んでしまえということですからね。 それを八十三歳の『愚禿鈔』には 信受本願 前念命終 もう死んでしもうたらもう死なんでもええ、...
御開山が自利というときは自力のことです。 なぜ自力になるかというと、自分を利するからですね。 ご当流のご法義は他力ですから、 私が私を利するんじゃあない。 私が私のためにする宗教ではありません。 阿弥陀さまが私のためにして下さってある宗教です。 ですから、私が自分のためにしちゃーいけんのです。 絶対いけんのですね。...
人は落ちる、 人は過ちを犯す、 人は油断する……。 阿弥陀さまは、 罪深い者を、小さき命の者、浅ましき者、 過ちを犯す者に涙をたれたお方だと聴聞して そしてその張本人が私であって、 私が救われていく。 それがご信心のところだけれども、 ご信心の、信仰の法悦を深めていくご報謝に努めるならば、...
私がいたから、法蔵菩薩の五劫思惟が始まったんだ。 仏さまがいたから私がたすかるんじゃないんだ。 私をたすけにゃならん仏さまができたんだ。 阿弥陀さまは私でできておる。 私を案じ、私を願い、私の功徳を行じてできたのが阿弥陀さま。 阿弥陀さまになってしもうたら、阿弥陀さまのことを私とは決して言わないけれども、...
一体に私どもは朝から晩まで人を責めておりますけど、 口には出さんでも心の中で責めておりましてねぇー。 阿弥陀さまは私を責めなさらん仏さまじゃという。 しからば、阿弥陀さま私を責めなさらんということが有り難い。 責めなさらずに、そしておたすけ下さるというのであるから、そりゃ有り難いが。 今度はそれを私の俗諦においては、...
おまえを仏にする おまえを仏にする 五劫があいだ思案し 永劫があいだ修行して できた答えが なんまんだぶと 私のところへ来て 声になってくださって 聞こえてくださる 私の業になって 称えられて 声になって 聞こえて 本願名号正定業という 業力になってくださった 仏号がわたしの業になってくださった それが名号であります...
大乗の菩薩は 衆生を背負うておる 荷負群生 背負うておる 私は 菩薩に背負われるというかたちで 兆載修行の場に参加しておる